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SPレコード落語特選 初代桂春團治編 二

初代桂春團治の名席・珍席をSP音源から復刻
四代目 桂文我氏の解説付きでお贈りします。
掛けられる時や場所により、演目の表現や長さも違い一粒で何回も楽しめるのが落語の奥深さです。本シリーズは、数多ある初代桂春團治のSP音源を掘り起こし、いくつかのレコード会社の垣根を越え、同席なども比較し楽しんでいただけます。

落語のSPレコードの成り立ち
明治36年(1900年)、ビクターの子会社であったアメリカのレコード会社・英国グラモフォンのプロデューサー・録音技師のフレッド・ガイズバーグにより、ホテルの一室をスタジオ代わりにして、日本で最初の平円盤式レコードの出張録音が行われました。
その時の録音に適する芸能と演者の選択を任されたのが、外国人の噺家のパイオニア・初代快楽亭ブラックで、落語・義太夫・能楽謡・音曲などを、当時の名人や人気者が次々に吹き込み、7インチ盤と10インチ盤の合計273枚が完成。
その中には、ブラックの落語も9枚含まれていました。

初代桂春團治について
本当の初代桂春團治に功績がなかったため、明治中期から昭和初期まで、関西で絶大な人気を得た二代目を、後々、初代と呼ぶようになりました。

明治28年(1895年)、18才で初代桂文我に入門し、桂我都と名付けられましたが、日常の素行が悪かったため、「もっと厳しい噺家の許で修業をさせた方が良かろう」と考えた文我が、二代目桂文團治(後の七代目桂文治)に預け、桂春團治に改名。
素行の悪さは直りませんでしたが、高座が抜群に面白く、次第に人気が高まり、SPレコードの吹き込み数もナンバーワンになったのです。
創成期の吉本興行の稼ぎ頭で、高給取りとなりましたが、放蕩三昧の借金だらけ。 会社に無断で放送に出たり、煎餅で拵えたレコードに吹き込んだり、奇行が人気を高める要因となりましたが、寿命には勝てず、昭和9年(1934)10月8日、胃ガンで没しました。
享年57、戒名は華光春團治道居士。
演目解説
『裏むき丁稚』

初代春團治の子どもの表現は、憎たらしさの中に、可愛さが満ち溢れています。
東京落語では『あんま小僧』という演題で上演されており、上方では笑福亭呂鶴が得意にして、若手の時代から高座に掛けていました。
短いネタですが、登場人物が少なく、何げない遣り取りだけで笑いを誘わなければならないので、演じるには難しいネタと言えましょう。
初代春團治は、当時の風俗を絡め、ネタの雰囲気も刷新しました。初代春團治の改良が無ければ、今日まで伝わらなかったかも知れません。

『ゑびす小判』

一月九日・十日・十一日、大阪は戎神社の参詣で賑わいます。
戎(恵比寿、夷)は、イザナギ・イザナミの子として生まれましたが、骨の無いグニャグニャの身体だったため、葦で編んだ舟に乗せて海へ流されました。それが後に戻ってきて、西宮戎の祭神となったと言われています。
戎は商売繁盛の神様して崇められ、戎神社参詣の三日間は大勢の参詣人が集まります。参詣人は笹に小判・鯛・千両箱の玩具を吊ってもらい、それを持って帰って神棚に供えるようになりました。その玩具の偽物の小判を、戎小判と言うのです。

『お玉牛』

三代目春團治の十八番でしたが、それは立花家花橘から伝わったもので、代々の春團治が伝えたネタとは言いにくい。
初代春團治はこのネタが得意ではなかったようで、レコードの吹き込みも少ないのです。当時は艶っぽい落語を吹き込むと警察の検査に引っ掛かり、訓告を受けて発売前に廃盤になることも考えられたため、吹き込みを控えたのだとも考えられましょう。
また、身振りが面白い落語のため、音だけで楽しむSPレコードの吹き込みには相応しくないと思ったのかも知れません。

収録内容
春團治について(桂文我) 約14分
『裏むき丁稚』演目解説(桂文我) 約3分
『裏むき丁稚』ニットーレコード 約13分
『ゑびす小判』演目解説(桂文我) 約2分
『ゑびす小判』タイヘイレコード 約13分
『お玉牛』演目解説(桂文我) 約5分
『お玉牛』ニットーレコード 約9分
商品管理番号 1859-8725
価格(税別) 2,000円
ディスク枚数 1枚
再生時間 59分
発売年 2020/8/1
作家 桂春團治/解説:桂文我
発行元/発売元 でじじ/パンローリング
内訳
販売価格
(単価 × 入数)
注文数

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品番
1859-8725
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2,000円
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