監修の遠間が視聴覚担当者時代のエピソードをご紹介。業務に役立つヒントが隠れているかも?
ちょっといい話 ①

ある夏の日、カウンターに40代くらいの女性。窓口の職員に「かさ」という字のつく俳優が出ている日本映画を探しているとの質問を受ける 傘? 笠? そんなやりとりを利用者と職員がしていたので別の作業がおわりわたしが引き継ぐ。やりとりから「笠智衆」だとわかったので「東京物語」や「彼岸花」「父ありき」「秋刀魚の味」などを紹介するもピンときてないかんじだった。どうもこの方は映画のことあまり知らないみたいで、どうやら義理のお父さん(しばらく寝たきり)から頼まれて探しにきたのだそう。松竹の作品に笠智衆をキーワードにて検索したら男はつらいよシリーズも出てきたのでこちらを紹介したら「これこれ!この人」と渥美清の表紙に反応してくれた。「そうか、御前様だ。」棚にあった寅さんのビデオを借りて行きました。
そして月日はながれ、ある日、邦画ビデオの棚の前で「おー!おー!」と唸る男性(高齢者)貸出時の利用カードで珍しい名前なので以前みえたUさんだと思った。(寝たきりのはずなのに)そこにお嫁さん登場。なんでも寅さんのビデオを見るうちに脳が活性化してみるみる元気になったそうです。この義父さんはなんでも東京の出身で近所に大きな川が流れているところで育ったみたいです。きっと寅さんシリーズを観ているうちに懐かしい気持ちになり生きる活力が湧いてきたのではないでしょうか!
その後Uさんは自分でバス(ぐるりん)に乗って来館し予約もできるようになりました♪
→ コラムを読んだAさんからのコメントをいただきました!
『遠間氏と以前一緒に図書館で働いていた者です。
先日、「ちょっといい話①」を拝読させていただき、私もUさんのことを思い出し、投稿(?)させていただきました。
Uさんは、図書館でお借りになったビデオを丁寧に大切に風呂敷に包んでくださっていました。その姿は、まるで古き良き日本映画のワンシーンのように美しく、今も鮮明に覚えています。
利用者との出会いは、図書館員の宝物だと思います。』
ちょっといい話 ②

CDの貸し出しサービスをはじめた最初のころのはなしです。
受付に80代くらいの初老の女性がみえて「すみませんが、流浪の民という題名の曲がありますか」とのこと。さっそく検索してみるがヒットせず。もう少し詳しく話を聞くと、どうやら合唱曲らしいので棚を探してみることに…するとウィ-ン少年合唱団のCDの「野ばら~美しき青きドナウ」1990BMGビクターのなかにあったので女性に手渡すとすご喜ばれて「死ぬまでにもう一度聞きたかった」とのことでした。
だけど、なんで検索で『所蔵なし』となったんだろうか?
理由は明白でした。図書とは違いCDのマ―ク(書誌デ―タ)は当初、曲目は5曲までしかはいっていなかったのです。せっかく資料があるのに提供できないということのないようにすべてのCDの6曲目以降を手入力することにしました。CDは曲目なら全曲に対して歌手名、演奏者、作曲者、指揮者などの情報がないと資料としての意味がない。そのほかに、ジャンル別に分類される必要性があるが、図書のようにNDCで分類されていない。これに関しては各館、独自の音楽分類にしていると思います。限られた資料費の中から購入し、マ-ク代や装備代を捻出しなくてはならない。さらに、ケースが壊れればケースの修理代。盤に傷がつけば研磨代当館では、のちにコーティングもしているのでそれにかかる費用などなど…。
なので、CDを提供するにはたくさんの手間とお金がかかるのです。
ちょっといい話 ③

夕方になるとやってくる外国人の男性。20代後半、何らかの仕事の帰りの様子。いつものように視聴ブ-スでCDを聴いてから帰宅するという日々が過ぎる。しばらくし、彼(デイビッド・仮名)と会話もするようになって東口にあるス-パ-内のパン工房に勤務するイラン人であること。利用者の四條さん(仮名)が受入て面倒をみていることがわかってきた。(海外から研修生を預かる)「デイビッドはビデオはあまり見ないの?」と質問すると、日本語は少し話せるが字が読めないとのこと。ビデオの棚にある背タイトルをみただけではわからないのだそうだ。なのでイランの映画を検索して「オリ-ブの林をぬけて」「桜桃の味」「友だちのうちはどこ」「運動靴とあかい金魚」「そして人生はつづく」などを紹介そしたら笑顔になりその中からいくつか借りていったのを記憶している。知らない国で修業してホ-ムシックになりそうだと思うので故郷の映画をみて懐かしく感じてもらえればと思いました。なので棚をみてすぐに自国の映画とわかるようアメリカ映画以外の洋画には国旗のシ-ルを貼るようにしてみました。のちに帰国したデイビッドに会いに行った四條さんが私宛に結婚して家族をもった映像のビデオと手紙(当時のお礼)を預かってきたと頂きました。
ちょっといい話 ④

元来、「図書館」とはその字のごとく、「図書の館」と書くように本を中心に収集されてきました。「図書館なんだから図書が充実してればいいのよ」なんていう職員の人たちも当初のころいたのも事実です。たしかに、本は、個人で楽しむことができます。そんな中、視聴覚資料の出現により、目で見たものや耳で聞こえることにより、脳に直接情報を提供できる資料として図書館に導入されました。映画館やテレビによって流行している映像資料やレコードやカセットテープやCDなどの音声資料などは市民の関心や要望が高かったのも事実です。特に映像資料(映画やアニメ)などは個人で楽しむだけでなく家族で楽しむことができる資料として、図書館の新たなサービスとして浸透され始めました。絵本などは読み聞かせの歴史がありますので、どこの図書館でも児童サービスの中心であったりボランティア活動が充実していることでしょう。
ただ、視聴覚サービスはそれほど歴史もなく精通者もそれほどおらず、その割には著作権をはじめとする色々な権利(貸与権、頒布権、著作隣接権、上映権…)などあまりよくわからないのが現状です。司書の方々に聞いても答えが返ってこない時は遠慮せず聞いてもらえればと思います。
ちょっといい話 ⑤

I県のM市図書館のY館長の話です。
その館長はエプロンをして笑顔でこう言いました。
館長の仕事は3つだけです。
1つ目は利用者が使いやすく話しやすい図書館にすること。なので図書カウンターのすぐ後ろ側に中が丸見えの館長室があり、そこに市民の皆さんが気軽にどうぞお立ち寄りください。というオープンな感じになっていて、市民の要望をきくのは館長の役目とはなす。
2つ目は行政とケンカしてでも予算(図書費)を勝ち取ってくること。
3つ目は職員の不平不満を聞くこと。そのために(当時)毎週金曜日午前中を閉館にしてミーテイングしたあとに全員で昼ご飯を食べること。
「この3つが出来ればいいんですよ!」と言われたときはグッときたなー。
ちょっといい話 ⑥

私事ではあるが、私は子供のころからテレビや映画を見ることが大変好きな子供でした。
特に映画で印象に残っているきっかけとなった話です。時は1972年の夏休みのおはなしです。
当時、東京で暮らしていた私は母と母の友人(こども二人小3、小1)と映画をみることになりました。私は10歳になったばかりの小学4年で二人の兄弟と三人で東映まんがまつりをみることになりました。母と母の友人は隣の映画館でマーロン・ブロンド主演の話題作「ゴッドファーサー」のロードショー上映を鑑賞したようです。「映画がおわったらこの場所(ベンチかソファー)で待つているのよ」といわれた。だけど、なかなか母たちはこない。小3の子はグズるし、小1の子は泣き出すし、ものすごく長い待ち時間だったし、不安だった。ただ、その間、ずっと館内で流れていたメロディがあの有名なニーノ・ロータの「愛のテーマ」であったのに気づいたのはのちにこの映画を見たときに「あの時のメロディだ」と思ったから。
東映まんがまつりに何を見たか覚えてないのに、このメロディだけは記憶に残ってた。
このことを書くのに少し調べたら1972年7月16日の東映まんがまつりは「変身忍者・嵐」「仮面ライダー対じごく大使」「超人バロムⅠ」「国松さまのお通りだい」とあった。調べてみればそうだったかも程度の記憶なのに音楽だけは覚えていた。「ゴッドファーザー」に関心をもったことで映画と音楽が好きになったことは確かだ。
そして中学生の頃には名画座ミラノやテアトル新宿で洋画のリバイバル上映に通っていました。(ほかに早稲田松竹・高田馬場パール座・国立スカラ座)など。なので、図書館で映画を選定する仕事は楽しかったし、CDを購入する時にはオリジナルサウンドトラック盤もたくさん購入するきっかけとなるエピソードでした。